枝豆色のズボンと知らない人に心を開く

お洋服は、自分で高いなと思う価格帯の、でも丁寧に作られたものをたまに購入するのも楽しいし、1000円以内という安すぎる値段の中でこれ、誰もきなさそうだけど私は好きだ、よくこんなものがここに売っているな?というようなものを掘り出し物として買うのも楽しい。

 

数日前、私は安いお洋服がたくさん並んでいる巨大なショッピングスペースで、枝豆色みたいなズボンと対峙していた。惹かれる・・・しかしながらたとえばこれをアルバイト先などに着ていくことは憚れる、、、例えばこれを、都内の中心部などで着れば目立たないが、福島の田舎に着ていくのは勇気がいる可能性がある、、

 

そして何よりこのショッキングな色を、私が着ていく勇気を、私自身が持てるだろうか?と悩んでいた

 

 

ここ数年、韓国から帰って日本に住み始めてから、私の性格はどんどん大人しくなっていた。というか、隠し始めていた、色々を。日本に帰ってきた当初は、よく『それは日本では通用しない、もっと普通にしろ』みたいなことを、、たくさん聞いた。(韓国も違う感じでそういうのはあるけど!とにかくもう少し大雑把さ、よい表現だとおおらかなので。でもこれは、国がどうこうというよりは人生が進む過程でどこにいても起こる作用なんだと思う!)普通にしているつもりでもはみ出てしまっていたので、だんだん怒られることに逆に怒りを感じ(笑)、怒られるのが嫌すぎて面倒臭いのでなるべく怒られないようにするために静かにし始めた。それは多分服装も。

 

目立たないように、めんどくさいことが起こらないように

 

数日前のイベント参加では、心を開いてみようと思った。そのためのきっかけとして枝豆のズボンを購入してみるか。

 

しかも多分500円くらいだったので(安すぎる!)買った。そしてイベント当日の朝、まだ迷っていた。ベージュにするか・・・?と思ったけど、きっかけの今日、履かなかったら多分この先も履かない。私は今日、この気になる枝豆ズボンを履き、今日会う人には心を開くのだ。そう思って履いて家のドアを出た。

 

 

人は多分、傷ついていくと心と閉じる。何か大変なことがあるたびに、自分を守る方法として人を疑う。私も最近はだんだんとそうなってしまった。だから、まず会った人を見ると、自動的にカテゴライズが始まってしまう。それは私の意志ではなく、もう、この生命体としての人間のbody、脳のシステムとして機能してしまっているただの反応として。

 

そして、過去に似たタイプのカテゴリの方にあって何か、大変なことがあったと思い出すと、自然と自分をセーブする機能が働く。実際は、一人ひとりは違うのに。

 

これは省エネだ。なるべく、こころを消費しないように自動でフィルター機能が働くシステムが私の中に搭載されてしまったのだ。人間プログラムの改変アップデート。

 

どうにかしてこうなる前の、人に出会った時の感動で空気がキラキラする感じを味わえる自分に戻りたい。けれど実際は、自分の中に生まれたシステムを、機械のように初期化はできない。脳のネットワークの中にはもう回路ができてしまった。

 

だから、私たちは自分の意志で、この峠を越えることを選ぶことしか残されていない。

 

なので枝豆色のズボンを買った。一度履いたので、もう何度でも履けるだろう。一回目が始まればもう大丈夫、そこが一番難しい。

 

フィルター機能は消えないが、こうやって私は自分の意志でまた人に出会って感動する経験がしたいと思う。

嫌な経験を避けるための人間カテゴライズ機能は自動で働いてしまうけれど、反応を意志は超えるというか、認知した上で再度行動を選択する自由の主導権は自分の意志にあるので。

 

そのためにはやっぱり、傷ついてもいいや、or, 別になんでもいい、人生はいつか終わるのでそれまでにいろんな人と喋ったりする方が面白いかも?くらいの感じでいればいいのかもしれない

 

 

fin   チャオ(尊敬する及川光博様の真似※明るいから)

 

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