最近、韓国の布を眺めている。
年代を聞くのを忘れてしまったが、少し昔の絹で、韓国語で 보자기 ポジャキといって、さまざまなものを包むための道具である。 例えば布団、服、食べ物、色々なものにつかわれる。現代の韓国でも、特に美術品としても人気があるらしく現代作家も多くでてきていて、日本でも韓国のそれは人気があるとのこと。
昔の韓国の布ということで、
眺めながら朝鮮半島に住んでいたであろう私の半分の祖先を想う。(わたしの父母はどちらも日韓のハーフ、わたしはmixということになる。遺伝的にはミックスになるとどれが濃く出るか不明らしい)どんな暮らしであったか。
生まれ、結婚しこどをも生んで死んでいった、世代交代を繰り返してきた祖先たちを想う。想像する。
と、もしこれが韓国製じゃなくて実は日本製だったら..? と想像する。この布の場合はとっても信頼できるところからのものなのでそれがないが、そうじゃなかったら?
それでも例え真実が違っても、
私がそれを韓国製だと信じ込んでいればストーリーは展開していき私の心象風景は豊かになる。
ただ単に雑貨屋さんで大量生産された布だとわかりつつ買うのと違う風景が見える。
ストーリーというのはこういう具合に、力を持つ。
ただ、色々みていくと大体本当に古くて歴史があるものか、本物かは見てわかるようになるとこのこと。
わたしはまだ発展途上なのでそこまでではない... : D