ガラスは土に還らない。
もっときちんと言えば、今地球上で出せる温度の限界は3000度くらいだそうで、
それでは灰にできない。(参考: http://www.gic.jp/museum/01_02.html )
土に長年埋まっていたりして表面がボロボロとすることはあっても、土に還ってはくれない。そこに微生物の分解は起こらないし、風で空気に溶けていくようなロマンスも起こらない。
鉄は土に埋めれば数十年で自然に分解されるらしい。(参考:https://www.jisf.or.jp/business/tech/can/chara/eco.html )
羨ましく思う。
そんなガラスの作品を、作るパワーは毎日はでない。
それを誰かが意図的に破壊するまで、たとえ海に投げ捨てたとしても、そのままなのだ。そのままで残り続けてしまう。とんでもない物質だ。
何も私の作品が素晴らしく(!)、何百年も残ってしまうわあ☆というような話ではなくって、物質的にズーーーっと残ってしまうという無味乾燥な真実の話である。
私は作品を、買い求めた誰かが破壊するのは一向に構わない。
例えばある日、その人が何かしらの儀式なり(儀式っ?!)、
自分との対話おしゃべり、なんでもいいが何かに向かい合うために
私の作品と出会う。そして、向かい合う過程でどうしても作品を破壊することが必要になってきたとする。わかりにくいかもしれないけれど、そういうことがあったとする。
たとえば・・・ある本に出会い、愛して読み込み、その思想を自分に染み込ませ、それと共に成長し、ある時それをどうしても越えなければならない時、私たちはその本を否定し投げつけなければどうしても自分自身の力でその先に進めなくなってしまう時がある。それと似ているような状況があったとして・・(そしてそういう時があっても、またその本に巡って帰ってくるようなことは多々あるけれど置いておいて。)
そんな時に、作品を破壊してしまえばいいと思う。その人に必要なので、それは私が何かいうことではない。ほぼ生き方の話なので、自由だ。※追記: つまり、作品が愛されるのと、向き合って最後破壊が必要になったりするのは、ベクトルは違えど同じことである。
そんな時、紙の絵だったら・・・燃やせば良い!キャンバスも同じだ。切り刻んでもいいかもしれない。陶器も、たやすく破壊できる。塊であっても、まあ頑張れば。
ガラスはそれができない。
石もそうだろう?そうかもしれない。でも石は、地球が作ったものである。
ガラスは人間が作った。砂(主に海の砂)と、ソーダ灰(主に海水が原料だそう)と、石灰石などを混ぜ合わせて高温で溶かすのだ。(参考: http://kinki.chemistry.or.jp/pre/a-29.html )
生まれて死んでゆくというのはある意味で福音である。
だから、ガラスの作品を作るときは、かなり精神的なパワーを使う。
毎日は絶対できないなと思う。(私は、。)暫定的な永遠を生きるドラキュラを生み出すような気持ちで向かい合わなくてはならない。
溶け上がってきた、塊のガラスが気に入らずに金槌で破壊を試みたことが何度も何度もある。例えば、塊の大きさがドッチボールくらいの大きさになると、その方法ではほぼ無理に近い。コップとは違う。塊のガラスは地球そのものなのではと思うくらいに固い。火と水で粉砕することもできるけれど、それもほぼ命懸けなのではと思うくらいで、今住んでいる家では無理だ。
だから、もし何らかの事情でガラス作品をどうしても破壊したいときは、私に相談して欲しいと思う。喜んで相談にのりたい。破壊する大変さを私は知っている。残骸のガラスがたくさん家に居る。ただ、それらをもう一度溶かして生まれ変わらせることができるんだけど。
そして逆に、わたしがガラスのでかい塊の作品をどこかに残して死んでしまった時のことを思うと暗澹とした気持ちになる。それを持ってて、どうしても破壊したい人が居たとして(というかそもそもそんな人いる?という疑問、あるだろうな。私は破壊衝動があるタイプだからみんな破壊したがるのではないかと考えてしまうのです)産業廃棄物の出し方もわからない方だったら、その人を気の毒に思う。とっても大変だろう、扱うのが。ガラスのコップがだた割れてしまっただけとは違う処理の仕方が必要なのだ。
ああ、ガラスは強すぎる。
でもだから好きな部分は多いけれど、何個も何個もは作りにくい。
数百年後に、海の埋立地から発見されるかもしれない海に眠るガラスの産業廃棄物のことたちを想う。(産業廃棄物はよくそういうところに処理されるみたいだから)彼らは人知れずその形のまま海の中をずっとずっと眠り続ける。もし人類が彼らを見つけなかったとしたら、彼らはそのままで一生を過ごす。一生?一生でもない。永遠である。破壊という解放が起こるのは、地球が生を終える時しかない。
ああ、ガラスは強すぎる ほんとに
という、日記。。。でした。終わり