虫パラダイス

いま虫かごでモンシロチョウの幼虫がすくすく育っている。生き残った勇者だ。

 

それとベランダで育てている小ネギに昨日いつのまにか大きい大きい幼虫がいた。ぜったいこれはモンシロチョウじゃない。たぶん分類したら蛾だろう(ほんとは蛾も蝶も分けないらしいけれど)

 

もう、ネギもあげます、どうぞ、、となり(モンシロチョウたちもルッコラを食べ尽くしなさった)

放っておいたのだけど今日見たらいない。

もしかして土に潜るタイプの、幼虫かしら。

 

最近、土をいじり始めてから

学ぶことがたくさんあってとても嬉しい。

唐揚げを認識した話

コンビニで唐揚げを買ったら

 

袋に**味と書いてあるけど実際は○×味です

 

と言われ聞き取れなかったけど

「それでいーです」といい食べた。

 

味覚が敏感になった‼️

頭で

 

きっと隣に書いてあったタルタル味だ

 

 

と判断した瞬間突然味覚もタルタル味100%として切り替わった

 

きっと美術でも起こるだろうな

逆に最初もやもやして何も感じなかったけど

言葉を解して脳が切り替わり、知識を混ぜることで感動する場合もあるだろう

 

丁寧に扱わないといけない

 

何も説明しないほうがいい(というか、作品によっては説明しないのも含めて作品とするみたいなのもあると思うので)場合もあるので。

天秤 今昔

理系研究室の方が展示を見に来てくださって

話していて初めて気づきました。

 

 

この、パンを入れた木枠つきガラスケース

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これ、もとは昔の天秤のケースなんです。

わたしこれ、ただのケースだと思っていたのですが…

 

 

ちがーう!!!!

 

 

といいますのは、理系実験室で使う天秤(電子)には、

アクリルやガラスの扉がついています。

写真のように↓

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目的は、はかるものの重量に、風の影響がでないようにするため。

 

なのです。ということで、私がYahooオークションで手に入れた天秤、のケースも

それと同じ用途だったのです。

 

 

 

ですのにわたし、てっきりただの運ぶためのケース

(それにしては割れるガラスを素材にするなんて…どういうこったい。。)と思っていました。

 

 

ということで、理系ではさまざまなことに対して

理由がしっかりあるな、という印象です。

研究室でお仕事をさせていただいていても常々感じます。いつになったらそのセンスが身につくかしら…

 

ではさよなら。

 

作曲の瞬間

音楽は作曲も鑑賞も直感だとおもっていたんですけど...

先日音楽に造詣が深い知人と話していたところ…

 

 

「いや音楽のほうがもしかしたら理論や方法バリバリで作曲してたりするかもしれませんよ」と…

 

「直感でつくってるのってたとえばショパンとかで(つまりそっちのほうが珍しい)」とのこと。。。

 

 

マジか。

 

わたしの考えてること全然違かった。

 

でも音楽は

 

聞く時にまず何はともあれ感覚で味わうのは

(聴きながら対位法だ、、、だとか分析しているとどんどん曲が進み曲を味わえないため)

やはり特徴であって好きな部分は

 

 

と思いました。

 

本をよむぞー!

 

それじゃあさよなら。。

よい夜を。

歌詞と、美術のコンセプト

美術作品の、感覚で観る部分は音楽のメロディ

コンセプト、言葉として表されるものは、(説明だったり技法や材料にこめられた経緯、想いなど)

 

音楽の歌詞かしら

歌詞は言語なので例えば英語の歌だったら

英語を学ぶと歌詞が理解できる

 

英語がわからない時はメロディだけたのしむ

それはそれでとてもたのしいし感動もできる

 

英語を理解できると歌詞も理解できて面白さが増える、感じかしら

 

 

そういう感じかしら

わたし美大に行ったけどいまいちコンセプト、

文脈(特にこれ、美術の文脈)、

好きになれないんだけど

 

歌詞だと思えば一気にそうよね!となるなぁ

 

フシギ

2度と戻らない視覚

いま展示空間を作る際の照明、

これだと一瞬できめたんだけど

毎日見ていると最初の感覚はもうまったくわからなくなる。

 

今の住まいからの景色も、はじめの3回くらいまでは「はっ」と感動していたが、もう今はその感覚がなくなってしまった。脳はなれるようだ。仕方ない。

 

どれくらい期間をあければ脳がまた感動してくれるのか?あけても、もう二度と感動はできないのか?

 

わからない。

 

音楽は、何度聴いても感動するのだが。

聴覚と視覚では差があるようだ。

帽子

昨日個展に、英文科時代からの(かれこれ15年!)友達が来てくれた。そこで話題になった、大学時代の哲学の先生。教室に入ってくるなり、帽子を被ったままの生徒がいると激怒、帽子を脱ぎなさい!なんならもっと怒ると出ていきなさいと言われる。

 

帽子を人の前で被ったままにすると、失礼に当たることを知らなかった人は勉強になるけどいきなり大勢の前で怒られるのは恐怖だろう。病気で頭髪に影響のある人だったら、それは違う問題に発展するだろう。。。

 

ということで色々問題はある気がするけれど、名物教授だった。すごく長い外套(外套という言葉も似合う風貌)、丸メガネで自転車で大学へいらっしゃっていた。

 

もう亡くなってしまったとどこかで聞いた。

もう怒られることはない、のだけれど

いまでも私はどこかへ赴く時、帽子をファッションとして被る時、一瞬緊張する。

 

嫌な記憶ではない。いつも、その緊張にはあの哲学を持った哲学研究者(あるいはもういっそのこと哲学者といってもいいかもしれない)を思い出すトキメキが伴うのだ。

 

 

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