作曲の瞬間

音楽は作曲も鑑賞も直感だとおもっていたんですけど...

先日音楽に造詣が深い知人と話していたところ…

 

 

「いや音楽のほうがもしかしたら理論や方法バリバリで作曲してたりするかもしれませんよ」と…

 

「直感でつくってるのってたとえばショパンとかで(つまりそっちのほうが珍しい)」とのこと。。。

 

 

マジか。

 

わたしの考えてること全然違かった。

 

でも音楽は

 

聞く時にまず何はともあれ感覚で味わうのは

(聴きながら対位法だ、、、だとか分析しているとどんどん曲が進み曲を味わえないため)

やはり特徴であって好きな部分は

 

 

と思いました。

 

本をよむぞー!

 

それじゃあさよなら。。

よい夜を。

歌詞と、美術のコンセプト

美術作品の、感覚で観る部分は音楽のメロディ

コンセプト、言葉として表されるものは、(説明だったり技法や材料にこめられた経緯、想いなど)

 

音楽の歌詞かしら

歌詞は言語なので例えば英語の歌だったら

英語を学ぶと歌詞が理解できる

 

英語がわからない時はメロディだけたのしむ

それはそれでとてもたのしいし感動もできる

 

英語を理解できると歌詞も理解できて面白さが増える、感じかしら

 

 

そういう感じかしら

わたし美大に行ったけどいまいちコンセプト、

文脈(特にこれ、美術の文脈)、

好きになれないんだけど

 

歌詞だと思えば一気にそうよね!となるなぁ

 

フシギ

2度と戻らない視覚

いま展示空間を作る際の照明、

これだと一瞬できめたんだけど

毎日見ていると最初の感覚はもうまったくわからなくなる。

 

今の住まいからの景色も、はじめの3回くらいまでは「はっ」と感動していたが、もう今はその感覚がなくなってしまった。脳はなれるようだ。仕方ない。

 

どれくらい期間をあければ脳がまた感動してくれるのか?あけても、もう二度と感動はできないのか?

 

わからない。

 

音楽は、何度聴いても感動するのだが。

聴覚と視覚では差があるようだ。

帽子

昨日個展に、英文科時代からの(かれこれ15年!)友達が来てくれた。そこで話題になった、大学時代の哲学の先生。教室に入ってくるなり、帽子を被ったままの生徒がいると激怒、帽子を脱ぎなさい!なんならもっと怒ると出ていきなさいと言われる。

 

帽子を人の前で被ったままにすると、失礼に当たることを知らなかった人は勉強になるけどいきなり大勢の前で怒られるのは恐怖だろう。病気で頭髪に影響のある人だったら、それは違う問題に発展するだろう。。。

 

ということで色々問題はある気がするけれど、名物教授だった。すごく長い外套(外套という言葉も似合う風貌)、丸メガネで自転車で大学へいらっしゃっていた。

 

もう亡くなってしまったとどこかで聞いた。

もう怒られることはない、のだけれど

いまでも私はどこかへ赴く時、帽子をファッションとして被る時、一瞬緊張する。

 

嫌な記憶ではない。いつも、その緊張にはあの哲学を持った哲学研究者(あるいはもういっそのこと哲学者といってもいいかもしれない)を思い出すトキメキが伴うのだ。

 

 

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作曲家の発想のスタート地点

音楽、作曲の部分は「思いつき」だが演奏の部分は思いつきによるものではなく練習(頭も使う)なんだろう。でもわからないな。ハーモニーの理論などを知って研究した上で頭を使って出てくる音楽もあるのかもしれない。

芋虫を育て始めた。

今芋虫を育て始めた。たぶん蛾だと思う。

ルッコラについてたのだが、小松菜をあげてみてもよく食べる。

蝶は偏食らしいので。

(追記)

インターネットで調べたら小松菜を食べてモンシロチョウになっている記事がでてくる。もしかしたら蝶かもしれない。ちなみにいま十二匹いる。

 

蛾が好きな先生に聞いたところ、蛾と蝶の明確な区別はないそうだ。

 

くじら

鯨に乗って海へ出かけたい

海の遠くの静かなところで

鯨の上で月を見る

ため息 ひとつ

空は静か 風が吹く

元に戻れるかどうか誰も知らない

遠いむかし昔の涙を今 思い浮かべるとまるで宝石のよう たとえそれがその時悲しい色でも

悲しい色はうつくしい色

むかしむかし

根を張る

ベランダの植物(たべもの、、笑)たちの植え替えの時期。一番よく育ったバジルの根を見るとよく張り巡らされていた。根っこは大事で、根を張るのには時間が必要だ。引越し後にすぐに生活が回っていかないのと同じ。日々のできごとが回るようになるには一年くらいかかる実感がある。植物も植えて、移動して一日でしっかり育ち始めるというわけにはいかない。まず根がしっかり定着して育っていく。ポットから植え替えをしたばかりだと定着していないのでその間成長は止まる。うまくできている。

 

視覚的には、部屋のなかに視線を移すと「枯れの美」があるように思うけれど、自然の中ではそれよりはやはり循環、新しい命がどんどん生まれるところに目がいく。枯れたものは「役目を終えた」か「うまく循環されなかったんだな」という印象。そこに枯れ美を見出すのは人間のエロさな気がする。そこにエロティシズム、というかクセというか人間ぽさがあるのかな。 動物や植物はそこに注視しない。ただ流れてゆくだけ。自然の一部だから。