あやす


わたしも、嫌な感情を抱くことがある。し、そういった心の声について、また違う自分が「嫌だな~」とさらに批判することがある。


こころの声、といいつつもそれをわたしはわたしそのものだとは思わないことにしている。

どこかで拾った、よく聞く意見や
刷り込まれている憎悪すべきものが自動再生されてる声だったりするだけだと思うからだ。


だからそんな時は、そういった
悪魔ちゃん(幼いエゴイスティックなことを言うから)を、もうひとりの自分があやすようにすればいいと思う。

なので別にそういった黒い沼を心に持っていても
それでイコール最低なひとにはならないし、
また、そういった声を自分と同一視することも、
切り離して聖人になるわけでもいいのではないか。


すべて自分だが、
それでも最後の一線のところで
ぎりぎり、光のあるほうを好む性質を
選びとるその心をずっと持っていたいと思う。