人生のふしぎ、ドローイングTシャツ

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ドローイングTシャツは、最初藝大アートプラザでセバスチャン高木さん、サッチーさんにやってみませんかと声をかけていただいて「たのしそう」と思って「はいやります」と言ったものの「なるべくはやく絵の具も返すのに持ってきます」とかまで言っていたのに、いざやろうとした時初めて、「え、これ描き直しができないということジャン」と気づき、全然描けなくなりました。いつもキャンバスや紙やパネルに絵を描く時、描いては消して描いては消して、上塗りしたりしながらすすめるスタイルなので🪮

😨どうしよう😨と思っていましたが、その時様々なおしごとや本郷図書館図書館での美術展示や湯島天神での企画などもなさっているペインター、藝大の先輩でもある伊藤さんに「気軽に描いてみて大丈夫だよ🙆🙆‍♀️🙆🏻‍♂️」とのことばをいただき、そうか、はっ🛋️💡と気持ちが軽くなり、やっと恐る恐る描き直しができないTシャツに描き始めることができました。伊藤さんありがとうございました..

どなたかのひとつのことばやふとしたときの会話でその後の行動にすすんでいく勇気をもらい励まされることってたくさんありますよね。ふしぎふしぎ 人生はそんな連続です

よく考えると、いまここまで色々やってきているのも色々なつながりがつらなっている 不思議

まず、家が日本と韓国ミックスということで、んじゃ友達も韓国にいるし(初めて行った外国の地のアイルランドで韓国の友達ができていた)、韓国語喋れるようになってみるかあと、大学英文科を出た後(最初音大にサックスで行こうとレッスンに通っていただがいろいろあってやめて、地元の福島の英語の先生シャヒッド先生に勧められたからじゃあ英文科でいいやと適当に選んだw)、ソウルに渡りました。

んで韓国語を一年数ヶ月学んだ後、んじゃ自分の家もなんで韓国ミックスなんだとか色々もっと深く知りたいから政治学とか勉強してみるかと修士課程に入り、つつ、なんか面白そうだからと現地で陶芸と七宝を韓国の先生に習い始め、もはやそっちが面白いな、この釉薬とかが好きなんだなと気づき、もうこっちをやりたいとなり、
日本に帰ってきてガラスの学校に行ってみます。
うおおお面白いし、美大とかでもっと色々やりたいなあとなり、東京藝大の院に入りたいなとなり、少ない作品の写真を持って藤原信幸先生 @nobufji1 に研究室に会いに行きました。なんだかここ面白そうぜったい入りたいとなり、付け焼き刃で(笑)数ヶ月デッサン教室に通い、それで受験を受けて入ります。それでガラスをやりながらだんだん他の人とも交流して、卒業後は絵も始めます。(院生時代に見て絵が大好きになった川田龍先生の絵画教室に習いにいった)、

そんで私がちょうど院に入った時はほぼお休みだった藝大アートプラザ、再開して、あそこはとてもいい感じなんだよとガラス専攻の助教?助手の地村さんがおっしゃっていたのを思い出していて、まず一回在学中にアートプラザ大賞というのに応募、その後も藤原先生に「あそこでまた展示してみたいのですが」と相談してみて、キュレーターでもある伊藤さんにまた会いに行ったような...

まとめると色々何やってるか、範囲が広すぎて意味不明な人みたいになっておりますが、人生は不思議だなというお話でした...

終わり

p.s まだやってみたい新しいことがある
やるぞっっっ いきているあいだにっっっっっっっ挑戦してみよう。そんでやってみて違うなと思ったらやめればよい。