間(あいだ)に生きる
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物をつくって販売したりしているので、
作ってどこかに行った作品のことを考えたりすることがある。
物を作るということは、この世になかったものを一個この世に出してくる作業なので、その先のことも考える。転売についての話とかそういうこととまた違って。
人は生まれて死んで、物は燃やしたりしない限りは残る。紙の作品やキャンバスであれば燃やせるので、なんとなく気が楽な気がするけど、それがたとえば陶器であったり、硝子だったりなんかしたら、この世から無くしたり燃やして空気にするのはなかなか難しい。たぶん土の方がまだ燃えやすくて、硝子はとても難しい。物質として安定しているので、存在しうる時間を考えると気が遠くなる。燃やせる素材はその儚さがすきだ。とても。燃やせない素材は永遠を思う。
人はすぐに消えてゆく、その後その作品がどこに行くか、捨てられるかとかは不明だ。人の好みは人によって違うし、1人の一生の間でも好みは変わるので、ぜったいにずっと手元に置いてほしいとかは思わないし、もっと自由に色んなところを飛び回るのを想像するほうがなんとなく楽しい。
そんなこんなで、物を作りながら思うのは
人は結構すぐに死んだりするのに、その間に人生に必要でないような物、絵だとか立体を手に入れて、側に置くというのは果たして意味があるのか
どうせ死ぬならミニマリストでもいいのと同じかな ということ
どうだろうか
そうかもしれないなぁ
そんな気持ちになったりすると、作る物は一体なんの意味があるかしら。そして私たちが80年くらい生きるということはなんなのかしら。
なんて思ったりする。
そんな時に、思い出すのは養老孟司先生のストーリー。(マイラブ...
これを何の本で読んだのか、YouTubeの動画だったのかwebの記事だった忘れてしまったけれど、それはこんな話。
ある時養老先生のお子さんが、部屋をひどく散らかしていた。
「片付けなさい」という養老先生。
「どうせまた散らかるから、片付けないよ」というお子さん。
そこで養老先生曰く「ではでは、こうだ。人間はどうせ死ぬ。それならば今死になさい」
こういうストーリー
養老先生はよく人間、自然、その間の手入れの話をする。それにも通じてくる話だろう。
人生に手入れをする話
その手入れそのものこそが生きてる時のたのしさだろう
そこにはきっと好きな絵や無意味な物質が含まれてくるだろう
いつか私は死ぬけれど 生きている間にこれを見つめていたい 好きだから 生きている間 息を吸う 吐くあいだ それを撫でてみようかな
そういうことを考える。
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"いきもの life"
acrylic on paper
420x594mm(A2サイズ。ポスターフレーム等に入れられます)
2020
顕微鏡でみてはまった微生物の世界への感動からでてきた絵 I fall in love with living small creatures with looking with microscope 🔬 and painted these.
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作家が保管中
If you would like to purchase or exhibit this art work, please contact me via e mail
aoki.ameiro@gmail.com English available
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