行ったり来たり考

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今年は初めてお米をつくっています。バケツ稲と言ってバケツの中でつくるものですね。随分大きくなってお米も出来てきました。しかし、すごく時間がかかりますね。作る前には分からなかったことです。

 

あまりにも経済が発展して世の全てが分業のシステムになると、人がお野菜をつくり、売っているお肉が元は生きていた生き物であったことから離れすぎてしまうと思われます。

 

でも、作ってみてわかりますが、生活に関わる全てを自給自足で、一家庭内、大きくても例えば村単位などで賄おうとすると一生涯で触れられるものが減ってしまい、生きるための農作物を作りお洗濯、お掃除だけで一生が終わるでしょう。

 

人によって生き方の好みが様々なので、どの生き方(上のように自給自足でも、たくさん機械を使う生活でも)全ては自由と思います。色々選べるのが理想ですね。

 

日本も人口が減って、経済的に豊かとは言えなくなってきたとのこと。たしかに中国の友達たちのWeChatの投稿をみると、今まさに発展しているんだという勢いが感じられます。国が大きい分、発展する時間も長いのかもしれません。国土が小さいとやはりピークはすぐに来てしまうということかも。でもそれでもいつかは、オセロが全て一色になるように、発展しつくして停滞というのは来るんじゃないかなと思います。それがどういう形で来るのかは国によって違うかもしれない。アメリカの感じと、日本の感じは違うような気もします。

 

日本は、少しだけ、資本主義とは違う方向に目を向ける若者と、お洒落、みたいなものが混ざり合っている雰囲気があるような。とても希望があると思います。なんとなくイタリアなどの農業の雰囲気と似ていそうな気がする。あまり知りませんのでただの雰囲気で言っている言葉ですが。。。

 

どちらか両極端になりきるのではなく、栄枯盛衰の流れの中で経済 農業 テクノロジー 手作業 がゆるやかに混ざり合って

そのなかで人間が生き物としてたのしく、すごい技術のおかげで楽しめる文化もたのしみつつ

 

行ったり来たりしながら人類は地球でいきていくのかもしれません だからどんどん経済的に貧しくなることは手作業の割合が増えてその楽しさに気づく過程と考えてある意味ですごい良いことかもとも思う。

 

と野菜育てを始めて見て思います

育てる部分もあれば買う部分もある

混ぜながら生きていく楽しみです