「電車で移動中に(東海道線です)僕は小さな女の子、と言ってもおそらく7、8歳の子がえんえんと泣くのを見ました。
その泣き方は明らかに
駄々をこねるような泣き方ではなかった。
傍でやさしく見つめるお母さんもその僕の解釈のもとになっていました。
「ぴぃちゃん(あるいは、お爺ちゃんだったのかもしれない)がいなくなっちゃった」と
女の子は嗚咽するように言いました。
そうか、これは喪失の悲しみのエネルギーなのかと、思った。
もう生きて温かさを共有することのできないという悲しみ。
死ぬということについて考えたのでした。
日常に突然の非日常がやってくる。
周りは皆いつものように日常が回っている。
自分一人ではこの非日常を抱えきれない。
憔悴、諦め、悲しみ、絶望、そういったものを
この世の皆誰しもが経ているのだと思うとやはり
どんなにムカつくことがあっても僕は、人をどうしても皆すべからく愛おしい、いとおしむべきであるとそう自らにいいい聞かせてしまいます。
どうですか。お返事お待ちしています。
五十嵐より」