ベートーヴェン好きの元に生まれたバッハ好きの娘

あるところにベートーヴェンを好きな人間が居た。
重い雲が溶けている暗い空の元、車を走らせ沼を眺めに行くような男だった。
男は娘を持った。娘はバッハ好きに育った。

なぜ彼のような人生の辛さを芯に持ち続けることがまるで信念のような人間の元で、
そことはまた別の重さを持った、そして次元の違う場所を夢見るような音楽を好きな人間が育ったのかは謎だった。彼女の母親は音楽とは友情を持たない人間だ。

あるいは例えば、リストだとかショパン好きが育ったのだったら幾ばくかは
周りは納得したかもしれない。

好みが違うということは、見えている世界の違いを表す。
父と娘が観る沼の色は違うのだった。
色は違く見えているが、隣で沼を観るという関係性を持つ縁があるのだという
奇跡みたいなもの、それこそが彼と彼女の間の縁の力だった。

沼を観ながら父はグルダのピアノの音を脳内で再生させ
娘はケンプのバッハを再生させていたのだ

もしかしたら、人は生まれる前から好みを携えてこの世にやってくるのかもしれない

「ま、話はあんま合わないかもしれないけど今回はいっちょ
ベートーヴェン好きの人のとこにでも生まれて異文化交流でもしてみるか〜。」的な感じで。