晴れに寄せて(第一稿)


今日は晴れている

僕はいつも、ある特定の思考方法を人生に採用することがあるのだが、それは以下の通りだ。


ある日、とても幸せな気分になったとする。しばらく平穏な日々が繰り返され、ある時には気分が乱され、荒れた海の様な心持ちになる日がやってくる。

あぁ、またこの荒れた海にたどり着いたのだ、と僕は思う。またここなのだ、と。
何度も見ている荒れたこの海こそが、ぼくの基礎となるべき土地なのだろうかと。


しかしもう一人、僕の中に住む少しだけ違う目を持った僕は少し違うように独白をはじめる。


「いや、もしかしたらこの荒れた海こそが決められた運命の場所というわけではないかもしれない、と。
なぜならば、僕たちは海に住むわけじゃないじゃないか、そこから船を出し、荒れた海を通り過ぎ、穏やかな草原に続く、蜂蜜色の猫が遊びにくるような海岸に辿りつくような時間の経過がその後やってくる可能性の方が大きいだろう、と。

僕たちはその後、その海岸に上がり、草原を超え、城に寄り友人をつくり、立ち去ったのちに、再び船で陸を離れるかもしれない。穏やかな優しい水を抱える海に向うかもしれない、そしてまた、僕たちはあのよく見知った荒れた海に着くかもしれない。しかし、それは、もしそうなるとしても、経過でしかない。決められた僕たちの運命とは言い難い。もし、君が冒険家として、無意識にそういった荒れたものを愛していたとしても、だ。全ては流れのなかに生きているのだ。」


その声を聞き、僕は今日の天のことを思った。
快晴、胸の中まで清潔なシーツのように心地よく乾いて行くほどの快晴。

晴れの日に僕は幸福を思う。
明日は雨かもしれないけれど(しかし僕は知っている、明日は雨ではなく今日よりも勝るほどの快晴かもしれないことを)
雨がこの先、
僕に死が訪れ
この世の虚しさからの解放を贈ってくれる日が来る時まで、
永遠のように降り続けることはないのだ。
もし僕が、救いのないほどに哀しさを無意識に愛してしまうなひねくれた者であったとしても、雨は止み晴れてしまう日がくる。


僕たちの人生に晴れの日がたびたびやって来るように。







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