樹脂とガラス

4/2 2021から、主に樹脂を素材に作品を作っている田中綾子さんとの2人展「透明な毎日に」がはじまる。

 

今日、3月31日 2021年

お昼から作品の搬入、設置だ。

 

いま、朝の4:44。

いつも前日、いや、当日の出発ギリギリまで作業する。身体にも悪いのではやめはやめにやりなさいよと毎回思うのだがここ数年絶対こうなっている。ははは。でも少しずつ早く、なってるのでよいです。

 

 

 

樹脂は人間のようなだと思う。

私はガラスをよく扱うけれど(他のもやる、絵も。どうしても現したい感覚がガラスだと無理な時は他のをどうしてもやりたいので、正直に、やる。他の人がどうかわからないけれど私の場合は、のはなしだ(^^))

 

 

田中さんと2年前くらいにお会いして、丸い玉の原型をお渡しして、樹脂を鋳造してもらったことがある。わたしもガラスで鋳造した。それを長期間眺めていた(放置..? 長く時間がかかってからあとからひっそり一人で感じることはたくさんあるのだ!!)、

 

そして今、少し磨いてみた。

まず、削る時の匂いが違うことを初めて知った。

樹脂を削る匂いを嗅いで、改めて「ガラスの匂い」を感じた。そうか、あれは「削る」時の匂いじゃなくて「ガラス」の匂いだったんだ、と。

 

 

そして、二つ並べてみた。

触ってみた、そして持った時の樹脂の軽さ、

それに私は泣きそうになってしまった。

朝の制作Highのせいもあるかもしれない、

でもその軽さってなんか人間みたいじゃないか、と思った。すぐ死ぬのだ。100年いくかいかないかで。数年の場合もあるかも。切り花が枯れるように、人間も脆くなってゆく。樹脂も太陽を浴び、雨風を体に受けると滅びてゆくだろう。その弱さに共通点を見出し、わたしはなんだかとてつもなくはかない気持ちになってしまった。なんて美しい悲しさだろう

 

 

ガラスはすごい年数をかけて、劣化する。

たぶん人類が滅びるほうが先なのでは、という時間をかけて劣化する。それは人類にとっては暫定的な永遠と定義できるのではないかと思う。

わたしは人間や、人生の儚さに耐えきれず、ガラスの作品を作ることで甘き永遠を祈る

心がとても弱くて人間の脆い美しさを耐え切ることができない

 

 

さて、また制作の続きをする...

出発まであと6時間