バジル

雨が降り続けていますね。

ちょうどいろんな種類の種まきをしたので、

うれしー。

 

材料作りの合間、そういえばどうなってるかなと

バジルの種を見てみたら、なんかぷにぷにになっている。バジルの種は水を含むとこうなる属性を持っているようです。かわいー!

 

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独学の効用

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ここ2年くらい、ひとつの欠けた器を繰り返し金継ぎで直してはやりなおし、直してはやりなおししています。上の写真ね。とりあえずは使えるところまできたかな…。途中で湿気度合いを調整するためにお風呂場に置いてあった数週間とかも、何度もあったな.. 何やってんだろ   クスクス(笑)

 

ちなみに今日も失敗が判明したうつわが2つ...(そもそも壊しすぎじゃ!?)笑いながら失敗した部分を削りとりました。↓コレ  ご飯粒が必要なので今からお米をたきます。お腹も空いたので同時に食べようかな。雑穀米でいいんだろうか..とかこういう細かい迷いも、とても愉快で面白いです。結構細かなことが結果に影響したりもします。

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化学的な接着剤ではなく、日本製ではないけれど天然の漆と、金のこな、小麦粉、ご飯粒、木の粉などを使う。簡単に説明書がついているセットみたいなものがあるので、それを使っています。厳密にいうと、これはちゃんとした金継ぎとは言えないと思うのだけれども、一応それらしくはできます。

 

ちゃんとやるとなると、ものすごく沢山の工程が必要なのだと思います。

例えば、研いだりするのを何回もやったりだとか。

 

私の試しているのも、一応研いだりはするけれど簡素化された説明にそって行っています。

 

そして、伝えられてきている一番効率的で美しく仕上がる方法、その正解を知らずに参考書を見ながら独学で進めているので、失敗があります。小麦粉を使うときの水の含ませ具合だとかねり具合だとか、湿気の雰囲気などなど。

 

失敗するので、その度に削り取ってもう一度一から作り直しもしています。

ので、数年かかっているのですね。(笑)

 

途中でうまくいった風で使っていたけれど、柔らかくなってしまってだめになったこともありました。

こういうのは金継ぎだけでなくてあらゆる技法で、あるなあと思います。

 

 

 

ちょうど一年前くらいでしょうか、日本画ではしょうふ糊というものがあります。

絹に絵を描くときなどに使ったり。裏打ちと言って、絵を描いた紙や絹の裏に補強的な意味の紙を貼るときなどに使います。私はたまに日本画を教えていただいているので、教えていただいていることを練習する時もあれば、まだ教わっていないことは本を読んで独学で自分勝手にやってみることもあります。

 

それで一年前、しょうふ糊を作ってみよう!と思い立って画材屋さんにいき、

しょうふ糊の粉を買い求め、作ってみました。水と混ぜて加熱するのですけど、

これくらいかなあ?と思うところまでやって、終わり。

粘り気も出てきているし、糊になってるだろう〜!と思ったのです。

それで、なおかつしょうふ糊を10年だとか、涼しいところで保存して、

古い絵の修復などに使うために接着力を程よく落とした(?)古のりというものがあるのですが、それもやってみよう〜!とガラスの保存容器にも入れておいたのですね。

そして一年後。つまりこの間なのですが、師匠に糊の作り方を教えていただきました。

 

 

・・・・。

全然違う。

私がこの前作ったやつ、あれただのドロドロの液体や・・・

 

 

 

と、なりました。

ハハハ。

 

 

 

と なり

家について速攻で一年熟成した糊を捨てました・・・。

 

 

 

こういう独学が起こり、繰り返され、歴史が積み重ねられ、

段々とこうすると良い、こうすると失敗する、というデータが積み重ねられていくのですな。この歴史の積み重ねの上に成り立っている世界を、一世一代で私、たまにやっちゃおうと独学で進める時、あります。死ぬまでに学びおわらんわ!

 

でも、それでも良いと思います。

独学って、楽しいんですよね。

それにプラスで、先人たちに運よく技法を教われたら

ラッキーということで。

 

独学に、先人の知識も入れつつ。やっていくのがバランスが良いところなのだろう

(わたしには、、、ですけど。)

 

 

あと、本での教えって、完璧ではないんですよね。

わたしの独学はつまりさまざまな技法書からの教えを道しるべに進んで言ってるわけですけど、ものすごく微妙な加減については本では伝えきれない。

 

ので、口伝というののすごさ、感じました。

メモではなく、書ではなく口伝でのみ伝えられていく伝統芸能の世界など、

そらそうだと思いました、の日記でした。

 

 

今日は金継ぎと、しょうふ糊作り、膠の準備、などしています。

絵を描く前、立体を作る前の下準備に本当に時間がかかるし、

そしてこの下準備というのが超楽しいことでもあります。

素材の質感、それが手に伝わってきて、感じて絵や立体ができていくところなので。

いわば料理のための野菜作りみたいな、好きな作業です。

 

金継ぎも、もう少し独学を重ねたらば一度体験に行ったり、本物の金継ぎ作品を見ようと思います

独学した後で本物を見ると、すごくたくさんの気づきがあるんだよなー!それが、ちょっといいところだと思います。訳がわからないまま教わると、訳がわからないままのこともあるんだよな、わたし... 頑固だからかもしれん😌

 

 

樹脂とガラス

4/2 2021から、主に樹脂を素材に作品を作っている田中綾子さんとの2人展「透明な毎日に」がはじまる。

 

今日、3月31日 2021年

お昼から作品の搬入、設置だ。

 

いま、朝の4:44。

いつも前日、いや、当日の出発ギリギリまで作業する。身体にも悪いのではやめはやめにやりなさいよと毎回思うのだがここ数年絶対こうなっている。ははは。でも少しずつ早く、なってるのでよいです。

 

 

 

樹脂は人間のようなだと思う。

私はガラスをよく扱うけれど(他のもやる、絵も。どうしても現したい感覚がガラスだと無理な時は他のをどうしてもやりたいので、正直に、やる。他の人がどうかわからないけれど私の場合は、のはなしだ(^^))

 

 

田中さんと2年前くらいにお会いして、丸い玉の原型をお渡しして、樹脂を鋳造してもらったことがある。わたしもガラスで鋳造した。それを長期間眺めていた(放置..? 長く時間がかかってからあとからひっそり一人で感じることはたくさんあるのだ!!)、

 

そして今、少し磨いてみた。

まず、削る時の匂いが違うことを初めて知った。

樹脂を削る匂いを嗅いで、改めて「ガラスの匂い」を感じた。そうか、あれは「削る」時の匂いじゃなくて「ガラス」の匂いだったんだ、と。

 

 

そして、二つ並べてみた。

触ってみた、そして持った時の樹脂の軽さ、

それに私は泣きそうになってしまった。

朝の制作Highのせいもあるかもしれない、

でもその軽さってなんか人間みたいじゃないか、と思った。すぐ死ぬのだ。100年いくかいかないかで。数年の場合もあるかも。切り花が枯れるように、人間も脆くなってゆく。樹脂も太陽を浴び、雨風を体に受けると滅びてゆくだろう。その弱さに共通点を見出し、わたしはなんだかとてつもなくはかない気持ちになってしまった。なんて美しい悲しさだろう

 

 

ガラスはすごい年数をかけて、劣化する。

たぶん人類が滅びるほうが先なのでは、という時間をかけて劣化する。それは人類にとっては暫定的な永遠と定義できるのではないかと思う。

わたしは人間や、人生の儚さに耐えきれず、ガラスの作品を作ることで甘き永遠を祈る

心がとても弱くて人間の脆い美しさを耐え切ることができない

 

 

さて、また制作の続きをする...

出発まであと6時間

透明な毎日に寄せて 20210316

わたしたちの あいまいで 透明で いとおしい毎日よ
いつかなくなる わたしとあなたも  記憶もすべて

ぜんぶガラスにとじこめてしまおう
いとおしい透明な毎日への賛歌と共に

わたしたちの
あなたの
大切な記憶 いとおしい 透明な毎日のすべて

あやふやで
もしかしてそれははじめからなかったのかもしれない
わたしの記憶でなかったのかもしれない
樹脂に埋めたこの記憶は誰のもの
それでもなぜか懐かしい

みんな
繋がっている
繋がっている

消えてゆく
消えてゆく
わたしたちのいとおしい透明な毎日に

しぼみ天国へ

2020年の11月、うちで育てているルッコラに産みつけられて生まれた幼虫から育てて先日羽化不全で羽化したモンシロチョウ、しぼみ(オス)が本日明け方に息を引き取りました。短いいのちでした。飛べず、子孫を残すためのメスとのダンスも叶わず、なんだか申し訳ない気持ちに。しかしもとのルッコラ、食べ尽くした後もたぶん死んでいたでしょうからなんとも言えないですが。

 

紋がなかったため、モンシロチョウではない可能性も考え、知恵袋で質問しました。

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春型のオスには紋が見えにくい個体もあるとのこと。

 

 

 

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モンシロチョウは日本には、奈良時代に大根について渡ってきたらしいです。間をとってたとえば750年に渡ってきたとするともう1271年もの歳月が経っています。モンシロチョウ、羽化後成長の寿命は1週間くらいだそうで。モンシロチョウは他の種に比べ世代交代の期間が短く、一年のうちに5世代ほどが繰り返されるとのことです。

 

とすると、時間的に言えば奈良時代に(750年として)渡ってきてから1271年×5世代=6355世代ということになります。渡ってきた日本のモンシロチョウ始祖から、私の家で生まれたしぼみにいたるまで、6355匹ほどの蝶の一生が紡がれてここまで続いてきたことになります。感慨深いですね。もちろん生き物は全てそうなわけですが。

 

 

大根だってそうですね。大根も、数百年数千年(?)生まれては花を咲かせ種が地に落ちてまた赤ちゃん大根が生まれ、、、ということで大根家族にもご先祖様がいるわけですね。なんというか、スーパーで買うと、野菜でもなんでも「ぽっ」と空間にでてきたもの、みたいなイメージって、でてきちゃうような気がするんですけど(僕があほちんだからです)。野菜の方々も昔々から続いてきている種族と思うと不思議ですね。

 

そもそも地球の誕生から、動植物が生まれる過程でいつ「種」が確立されたのでしょうか?例えば1番はじめに生まれた「大根」にも「種」はあったのでしょうか? あ、これって卵が先か鶏が先か、のことですね。

 

ふぅ。この辺で筆を置きます。

 

しぼみ、わたしに新しい毎日をありがとう。

さようなら。天国で元気でねー!